帰ってきたヨガ日記(ヨガはしない)

高幡という人が書いています

精神年齢とラーメン

 高校生くらいの時から、うんこちんこで笑える心を大切にということで「永遠の14歳です」というのをよく言っていたのだけど、三十路も目の前になってきたこの歳になってみるとうんこちんこで笑えるだけでなく精神的な成長も実際問題14歳程度で止まってしまっているんじゃないかという疑惑が。物事を考える能力とか精神的な成熟なようなものが、まったく成長していない気がする。

 原因に「何もしない完璧主義」が根っこにあって、選択をして行動をする経験がとてもとても足りて無いんだろうなあと、周囲の同年代を見ていると感じるところ。

決められない行動に移すのが遅いというのも自覚してはや15年近く。やっぱり成長していないじゃないか!!

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こんな愚痴から始まる日記なんて、ラーメン写真でお茶を濁すしかない。

高幡不動にある「小川」のラーメン。鰹出汁と豚骨の組み合わせた濃厚なスープ。チャーシューはバラとロースが選べます。これはバラ。

昔はよく通っていたけれど、もう2年くらい食べていません。写真見てたら食べたくなってきた。

 

思いの外遅くなってしまったので今日は寝よう

 

火の鳥、ピザのハーフアンドハーフ、頭のなかのループ

 朝の6時に起きて7時くらいの電車に乗る。乗り換え駅で少しだけ電車をやり過ごして(この時間が自分としては結構大切)、会社に就くのは始業時間9時の少し前。片道大体2時間の通勤時間。往路はほとんど寝ていて、復路は文庫の小説かKindleで漫画を読みながら帰ってくる。今は先日のセールでまとめ買いした手塚治虫火の鳥』を読み返しているところ。乱世編の清盛の権力者としての人間臭さがとても良い。小さいころ読んだ時は、わがままで嫌なおっさんだなあこんな大人になりたくないなあとしか思わなかったな。

 行きの電車の中でも本を読めばもっと時間を有効活用できる気もするけれど、そこは夜更かしの時間とトレード、トントンになってるってことにしてます。やっぱり夜が好きです。

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 写真は新宿サザンテラスのイタリアンで食べたマルゲリータ。今、店名を調べたら「パパミラノ」というお店でした。ランチで食べたんだったかな。ランチ限定だったか覚えてないけれど、ピザのハーフアンドハーフが出来るので一枚で二度美味しいお店でした。問題は、この時マルゲリータと何を頼んだか覚えていないことですが。いや、美味しかったんですってほんと。

 写真の左にあるのがタバスコ、と見せかけてハバネロソースです。その2つの違いについては僕もよく知りませんが、思ってたよりはっきりハバネロソースって書いてありますね。これを使うときに、パッケージをよく見ずに普段使いのタバスコの感覚で振りかけてパクっと食べたら、不意打ちで舌を剣山に押し付けられたかのような衝撃に殺されました。慌ててパッケージ確認したらこれだもの。ハバネロだもの。ハバネロって本当に辛いんですね。暴君ハバネロくらいしか食べたことなかったから、「言うてそこまでじゃないだろー?んー?」くらいにしか思ってなかった。ごめんハバネロ

 

 冒頭に書いたような生活を送っていると、仕事している以外には満員電車の中で本を読んでいるか、帰ってきてから何かするかの2つしかないので取り立てて日記に書くようなことにお外で遭遇することも無いなあと思ってしまうんですが、これは多分先日の日記にも書いたようにまだ日記を書く脳みそが動いてないからなのではと期待しています。もしかしたら本当に無いのかもしれないけど、そのうち慣れて、取り立てて何かにお外で遭遇しなくても書けるようになるんじゃないかな。森博嗣も「日記を毎日書くコツは、毎日書くことです」みたいなことをエッセイの中で言っていた気がします。

 

 外で何かに遭遇しないなら、移動中や休憩中に考えたことがその日のインプットの主なものになるわけですが、自分が空き時間に考えていることって何かパッと浮かんだことがずーっとループし続けていることが多く、考えが進んでいくことがまずありません。ここ数日だと「崖の上のポニョ」の曲に合わせて「かーくぶつちち!かーくぶつちち!」というフレーズだけがループしています。他のことを考えようとしても、すぐにこいつがループしてくる。

よく、「単純作業中は好きな漫画について考察している」とか「好きなキャラについて妄想している」というのを見かけるんですが、これがなかなかできない。何かを考察して進めていくことがとても苦手で、これは小学生の時から変わっていないですね。

ループしていることに気づいた時、もっと妄想力構想力が欲しいなあと思います。なんかメソッド的な、思考の方法論を訓練すればできるようになるのかしら。

 

 ランダム再生で流している曲が、The Beautiful Girlsの[Wait of the world]に変わりました。


The Beautiful Girls - Weight of the world - YouTube

 

初めてPV見たけど、冒頭の怖さなんだこれ。怖いよ。

でも曲はすごく良いです。淡々と格好良い曲に、滑らかで心地よいボーカルがとても合います。オーストラリアのバンドです。名前の割に男しかいないけど。

 

 三回目のブログ記事だけど、未だに方針のようなものが見えてこない。このままダラダラと思いつくままにキーボードを打つ日記になるのか、なにかテーマをこっそり持つのか、どうだろう。

 

 

新宿の焼き鳥、写真のテスト、どこに行ったっけ

 いざ日記を書こうと先週のことを思い出そうとすると、驚くほど思い出せない。あれえ?こんなに思い出せないものかしらん?若いころもそうだったっけ?まだ日記を書く脳みそのギアが入っていない感じがします。ギアというと大げさだけれど、TwitterをやっているとTwitter向けの、日記を書いていると日記向けの視点を日常生活の中で持つようになるわけで、その日記部分がまだ錆びついたままのような感覚です。メモやらレシートやらを見返してやっと、「あー、こんなんあったなあ」と思い出せるポンコツ記憶力。

 

 昨夜、先日行った新宿の飲み屋について日記を書こうとTwitterに書いたものの、

写真の読み込みがうまく行かなかったので、諦めて寝てしまったんだった。

 新宿、東京の西と東の中間点にして最大級のハブ駅にして最大級の歓楽街を抱え最大級のショッピング街でもある新宿。でも不思議と飲み屋については良い噂を聞かない街、新宿。それはもちろんボッタクリとかそういう論外なものは置いておいて、単純に「新宿っていい飲み屋なくない?」という、なんだか漠然とした印象をよく聞くし、実際自分も「どこも正解!」という印象はありません。多分、母数が多すぎるんですよね新宿。目移りするし、数多ある店の中から散々迷った挙句エイヤっと入った店が外れたりすると一層がっかりするから悪い印象が残るし。あと、これは新宿に限らないけど客引きについていくと間違いなく失敗するので、飲み屋の客引きは無視に限ります。

 

 ここまで言っておいてだけど、別に他の街だったら良い店があるかというとそんな訳はなくて、良いお店って地域に数軒あればいいほうですよね。新宿は大きくて華やかで店もたくさんあって、激戦区なんだからきっといい店だろうと期待させてくるんだけどいざ行ってみると普通じゃん、というなんだか前情報のハードルによって損してる気もします。いつだって、ハードルの上げすぎは不幸しか産まないわけです。

 

 で、やっと先日行ったお店「おおの屋」さんの話。

 秋口、涼しくなった頃に立ち寄ったのが新宿西口大ガード十字路から少し歩いたところにある居酒屋でした。新宿西口のラーメン屋を調べているときに、たまたま出てきたお店で「立ち飲み」「安い」「美味しい」のワードに惹かれてこれはいくしかあるまいよ、と思っていたところで近くに行く機会があったのでふらりと寄りました。時刻は22時30分頃。開いているお店も減ってきて、迷う時間帯。よく行くのは西口出てすぐの別の店に行くところと、何に呼ばれたか「おおの屋」に行ってみようと思いたちテクテクと歩くことに。

 お店の手前にこれまた美味しい海鮮系居酒屋の「タカマル鮮魚店」の本店(ここのカニクリームコロッケはちょっと、こう、すごい)があるんですが、そこをスルーしてもう1ブロック先へ。

 見えてくるのは仕事上がりの男性ばかりがひしめく立ち飲み屋。カウンターに通してもらって、早速メニューから適当に注文。お通しは無いので、すぐに出る系の一品物を頼むのも良いかもしれません。お店のウリは串と刺し身なようです。僕は串ばかり頼んだけれど。

 お通しといえば、お通しが美味しいお店、もっと言えばお通しが旬やおすすめで変わったりする店の料理は外れることがまず無いです。「ええー、この野菜かあ」と思いながらとりあえず口に運んだお通しが美味しすぎて、おかわり頼もうとするもメニューにない、とかね。あれって、不思議と嬉しくなります。

 逆に、「席料代わりにとりあえずお通し取っとこうやぁ……適当にこれでええやろ」みたいなのを出されたとき、それが美味しくないときなんかはそりゃあもう・・・おまえ・・・ですよ。

もっとひどいと「席料 お通し」と二重に取られる店もあったりして(店の名前覚えてないけれど、渋谷で一回あった)、あれはもうなんともやりきれません。「このダンジョンにはもう来ないようにしよう……」とだけ覚えておくわけです。

 

 閑話休題。何が閑話なのか何が本題なのか、それが問題だ。

ほいで、頼んだのが写真のこちら f:id:tkht:20151114225716j:plain

かしら、シロ、ハラミのタレ、串は全て90円。大ぶりの串かつは150円、ハイボールが250円。全て税込み。

これですよ。おかしい。新宿で、焼きたて揚げたてで、なんだこれ。立ち飲みは基本的に安いもんですが、さすがに新宿でこれはびっくりしました。

えーっと、どこから話そうかな。

まず、串はタレと塩が選べます。

で!タレがとても独特で、ニンニクのパンチがありつつ柔らかな甘みがある。その甘味でニンニクのパンチが感じられるのに和らげられているという、不思議な美味しさ。この甘味が分からなかったので思わず店主さんに聞いたところ、林檎が入ってるそうです。大量のすりおろし林檎とすりおろしニンニクを使ったタレなんですね。これがとんでもなく美味しい。

シロなどの内臓系にはこの香りと甘みが強いタレが最高にマッチします。無限に食える。シロとか、下手な店で食べると「くっさ!うわあ、くっさ!」と言ってしまうレベルの臭みが出てしまうんですが、おおの屋さんのシロなど内臓系はまったくその辺が気になりません。無限に食える(2回目)

かしらやハラミなどの肉々しい部位は、タレでも塩でもとても美味しいです。目の前で焼かれて熱々で出てくる串はたまらないものがあります。肉っぽい部位の塩タレは、飲んでいるお酒に合わせて選ぶのがベストじゃないかと思います。個人的には、焼酎ロックなんかには塩で合わせるのが好きです。

 写真の左端におわしますカラカラとした衣を纏いし御大ですが、これがその見た目そのまま名にし負う「串かつ」(150円)様です。やー、すごいぞ。強い。ものすごく強い。極端な話、お財布カツカツだけどお酒は飲みたーい!みたいなクズマインドに取り憑かれている時だったら、この串かつ一本で一晩飲める。

衣の黒さで分かるように、薄めの衣をカリッカリに挙げてある串かつです。中身は「厚めの脂身ついた豚肉」「玉ねぎ」「厚めの脂身ついた豚肉」「玉ねぎ」という、重装歩兵のような武装。とんかつ屋に行って、「とりあえずヒレカツ」な人だと、ちょっと重いかもしれません。でも、僕も一本しか食べてないので、そのへんの肉バランス(お肉の脂身と赤身のバランス)は運ゲーかもしれないので今後検証の必要があります。

 

ただ、この「サク!ヘビィな肉!サク!シャキシャキの玉ねぎの甘さ!サク!また肉!」というヘビィのパンチ力は凄まじいものがありました。そらハイボール飲むわ。頼んでないけどハムカツというメニューもあったので、この串かつとハムカツはハイボール担当だと勝手に決めつけています。次行っても頼む。

 

 他メニューも、焼酎ロック250円とかその日の仕入れの刺し身350円とか、ほんと新宿とは思えない価格帯なので、どこかタイミング合えば飲みに行きましょう。

 

 あれ?今日のブログはもっと他のことも交えていろいろ書こうと思っていた気がするけれど、いざこの段になってみるとそれが何だったか思い出せないぞ。まいっちゃう。

 

 帰り道に撮った写真だったと思うけれど、新宿南口もキティさんに占領されている。

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『風景画の誕生』展のこととか

 今日はちょっと早く寝ようと思ったらもうこんな時間(26時)で、平日の時間が過ぎていく早さには毎日毎日驚いてしまいます。そろそろ慣れてもいいだろうに、一向に学生気分ニート気分が抜けずに「夜がずっと続けばいいのにー」と思ってしまうあたり、歳相応の精神的成長を遂げていられないようです。

 

 先週の末に渋谷のBunkamuraで開催されている『風景画の誕生』展に行ってきました。あまり展示内容をチェックせずに行ったので目当ての展示があったわけではなかったのですが、会場についてすぐにヒエロニムス・ボスの絵画をモチーフにした大きなモニュメントにお出迎えされてテンションは大幅にアップ。

残念ながらボスの作品は今回の展示にはなかったのですが、ヒエロニムス・ボスが風景画の歴史の中で与えたインパクトの解説とその模倣作品が展示されていました。

 

 風景画の誕生ということで、それまでの宗教画、肖像画が中心だった絵画がどのようにして風景を作品のモチーフとして見出して行ったかが解説付きで時系列で並べられています。以前に見に行った印象派黎明期を集めた展示会では「風景が主題だけど人が書き込まれている作品」が多く、印象派隆盛期の展示会では「風景のみ」の作品が多いなあ、という漠然とした印象(印象派の話をしてる時にややこしい)を抱いていたので、今回の『風景画の誕生』展は自分の抱えていたその印象を橋渡ししてくれました。個人的に最高のタイミングで見れたかも。

 

展示されていた絵で気に入ったのはアダム・ペイナーケル『ティヴォリ付近の風景』と、タイトルを失念してしまったけれど山賊に襲われている旅人が画面の左下にコミカルに描かれている作品。どちらも絵の中を散歩したくなる作品でした。山賊にはおそわれたくないけど。

そうそう、世界史の資料集でお馴染みの『ベリー候のいとも豪華なる時祷書』が間近で見れたのも興奮しました。名前が格好良すぎて妙に印象に残ってるんですよね、いとも豪華なる時祷書。

 

山賊に襲われている絵のポストカードがなかったのは残念だったけど、概ね楽しめた展示会でした。

Bunkamuraに入って左のフリー展示スペース?に少女モチーフのエログロゴシックな展示会をやっていて少し気になったんですが、時間の都合でスルー。あそこは販売用の展示スペースなのかな?

 

しかし渋谷は何回行っても、と言うほど繰り返し行っているわけじゃないけれど、慣れない街です。なんというか、苦手なゴチャゴチャ感。新宿とかはそうでもないんだけどなあ。今回も目的の展示会とマルイでやっていたアドベンチャー・タイムの期間限定ショップを済ませたらさっさと退散したのでした。

テスト

 昔々、はてなダイアリーで連日日記を書いていたころ、「ヨガ日記(ヨガはしない)」というタイトルを使っていた。

 久しぶりにブログをつけてみようとログインしたら新しいサービスが開始されていたのでこちらを使ってみようかしらん?と使い始めてみたものの、まだ使用方法も読んでないので、編集画面にあるアイコンやらサイドバーやらの意味が全くわからない。でも、こういうのは不便にできているはずはないので使いながらちょいちょい覗いていくうちに自然と分かることを期待している。

 

 いざ、日記を書こうと開いてみたものの、なかなかこれだということが浮かんでこない。ノー編集垂れ流しでガシガシ書いているので、内容が飛び飛び、時系列むちゃくちゃになるかと思われますがご了承ください。

そもそもここを以前のヨガ日記のような毎日を思いつくままに綴るところにするのか、なにか指針を持って書くのかも決めていないので、なお一層浮かんでこない。今のところ、以前と同じように日常を垂れ流す日記を虚実入交りつつ書いたりするほうに8割傾いているけれど。

でかけた先で食べた美味しかった店や、美味しかったお酒や、面白かったマンガや映画について、今まではツイッターに写真上げてお終いだったところを、もうちょっと長めに書いたり写真を複数上げたりできればいいなー、と今書いてて思い始めました。

そもそもそういうのをするのにはてなブログは向いているのかな?

アフィリエイト貼れたり?なんだり?ラジバンダリ?そのへんは後日ぐぐりましょう。もしかしたらしれっと引っ越しするかもしれません。

 

冷蔵庫から出したハトムギ茶がキンキンに冷えすぎていて、一気に飲んだら体の震えが止まらない。

読み返してみると、「~たり、~たり」てのと逆説をやたらと使いますね俺は。

閑話休題。なにが閑話か分からない。

 

方針が決まっていないといえば、ここで日記を書くときの一人称と文体も決まっていない。Twitterでも決まっていないのだけれど、この決まらなさは初めてインターネットを始めたときからずっと続いている気もする。一本筋がないというか、主体がすぐに周りに影響されてブレるので、それが一人称に表れやすい。

「俺」「僕」「私」「自分」の順でよく使っている。「吾輩」とか「わし」とかだと、全方位に無害な感じがして使いやすい。でもそれはそれであざとさが出てしまうような気もして、もうちょっとニュートラルでオーソドックスな一人称がいいんじゃないかと思い、最初の4つに戻る。

で、結局ここではどれを使っていくかとなると、どうしよう?

「俺」が一番普段の生活に近い一人称だけど、ちょっと強い感じが出てしまうので、ここでは「僕」にしようかな?いや、落ち着きのでる「私」もいいか?「高幡」を一人称にすることで全てを避けていくか?うーん?

よし、「僕」にする。僕にするぞ。僕は僕になった!

 

なんだこれ。

僕が僕になったところで、文末のブレっぷりも読み返していくと気になりますね。ですます調とである調と、なんだかいろいろ混じっている。塾講師やっていた時に生徒がこれを持ってきたら確実に赤入れて添削している文章ですこれ。まいった。思いつくままに打ち込んでいると、そこのところの統一が僕にないらしい。ぶれっぶれ。

これもなんらかに統一するべきかもしれないけれど、今はもうちょっとこのブレを放置して様子を見たいと思います。自然とどちらかに収束するかもしれないし、ブレブレのままかもしれないし、ああやっぱり揃えるべきや!と突然にキレて宣言するかもしれない。ブレブレになりそう。

 

ここ数年、長文を書いていないなあ練習しないとなあとブログを書くことを思いついたものの、こうやって脳みそを垂れ流すだけだと大して、というか一切練習にならないということに気づきました。

でも、これはこの楽しみがありそうなので、もう少し続けてみようかと思います。

 

テスト終わり